ケン・グリムウッド (訳・杉山高之)(新潮社)

ある日ある時間に主人公は心臓発作で急死する。しかし気づくとベットの上に寝ている自分がおり、よく見ればそこは大学生時代の学生寮の自室。25年前に、記憶・知識はそのままにタイムスリップしてしまった。そして人生をやり直すが同年同時刻に再び死に、自分の人生を何度もやり直す。
みたいな。
タイムトラベル物の醍醐味をすべて盛り込んだかのような作品です。はっきり言っておもしろい。なのに感想を挙げるの先延ばしにしまくってた。おもしろいだけに感想を書きづらかったということにしておこう。
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まぁおもしろい。それは間違いないけど終わり方は納得しづらいかなー。この手のSFで纏まりすぎたラストが出てきたらそりゃノーベルさんもビックリなわけですけど。
リプレイを繰り返すたびに再開の時期がずれていくその理由を少しでも出してもらいたかった。どんなのでも矛盾ありまくりんぐな結果になるのはわかってますが、こう、ほのめかす感じでいいからさ。
んで後は愚痴もいいとこなんですが、人生をやり直すというすべての人の欲望を体験したからこそ、逆に人生は一回きりだから素晴らしいということに気づいたんだぜ!!・・・ってゆーよくある流れ。
本当にそうなんですかね。確かにやり直しがきかないからこそ行動の一つ一つに全力を尽くせる、という理屈は納得するものがありますが、それは人生が一回であることが前提のはず。しかし一回だからこそ云々の話は、常に、もし人生をやりなおすことが出来たら・・・という前提の下、つまりは人生はやり直すことが出来るという世界にいることを想定して、その上で同じことを考えるべきではないのでしょうか。
そしたらもう、ウハウハじゃね?っていう屁理屈をわざわざ伏せ字ですることもないんじゃないかなー、とちょっと思い始めてる次第です。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::